先程、安倍総理の戦後70年談話がありました。
(※全文はこちら。)
安倍さん、立派でした。
思わず聞き入り、考えさせられる談話でした。
言葉の選び方、話し方、目線、表情…etc、しっかり準備されて臨まれたことが伝わりました。
何より覚悟なるものが表情から伝わりました。
リアルタイム映像で観れて良かったです。
記事だけ読んでいたらここまでメッセージが伝わらなかったと思うから。
今回は実践のススメに関してお伝えします。
批判化という世の流れ
最近、雄弁なヒトが多いですよね?
何でこうした流れが出来ているのかってそもそも論ですが、きっと楽だからだと思います。
誰かのアウトプットに対して、ケチをつけるのって誰でもできるから。
沈黙しているよりも、もっともらしく意見を述べているように聞こえるし。
心から懸念していることは、相手の揚げ足をとって論破することに生きがいを感じているヒトが増えているコト。
政治なら政治、ビジネスならビジネス、恋愛なら恋愛、運動なら運動、音楽なら音楽、読書なら読書、何でも良い。
概念の中だけに生きがいを見出すのではなく、概念の先に、身を投じられる現実と出会って欲しいと切に願います。
概念の限界
学生の頃、観念や概念が好きで宗教(仏教)や哲学(思想)や経済学をゼミで学んだ。
概念の世界はどっぷり浸かれる程面白いと感じた。
議論だけで永遠にできるとすら感じている。
それ故に確信に至ったこと。
議論することに身を投じる時期は必要枠。
頭の体操になるし、ロジカルにもなれるし、何より頭が良くなった気になれる。
本質はやった気になれるだけ。
誰かのアウトプットにかぶせているだけでは現実は何も変わらない。
意外と不安定な原理。
実践のススメ
あいにく議論の世界を突き詰められるには頭が足りなすぎるのですが、議論には限界があるなぁってビジネスを通じて体感しました。
小さい頃は、正義の味方、ヒーローって物語の中に一人しかいなかった。
ヒーローがチームであることもあったけど、正義と悪の二項対立だったから分かりやすかったのだ。
アムロ(ガンダム連邦) vs シャア(ジオン軍)。
悟空 vs フリーザ
ケンシロウ vs ラオウ
ジョジョ vs ディオ
子供の頃は気付かなかったけど、子供向けに話をシンプルにしてくれていた。
でも、大人になって気付いた。
世の中は、立場立ち位置によって色々な正義が存在する。
多項対立で、二項とは限らない。
俺の方が正しい、お前のここが間違っている…。
こうした主張、議論は永遠に続く。
議論し論破しねじ伏せることを目的にしているならそれで良い。
でも、それだけではもったいない。
その頭の切れ味をもっと他にも活かして欲しい。
物事には正しい間違いよりも大事なこともある。
あるある話。
本音は、ただただ彼氏彼女と仲良く一緒に居たいだけなのに。
喧嘩して相手をボロボロに泣かしたとき、論破した喜びはどこにも無く、あるのは荒れ果てた気まずい空気のみ。
論破することで自己満足は得られるが、互いの平和を得られる訳ではない。
正義と悪、正しいと間違いだけではない。
分かり合う道が不可欠。
概念の中に生きがいを見出している限りは、正しい間違いの範疇でしかなくなる。
そこから抜け出した面白味こそ、実践の旨味ではないでしょうか。